世界の海援隊が制作協力している日刊スポーツ新聞社発行の定期購読者向け月刊情報紙「ニッカンプラス」。2017年8月号では、今年4月に日本遺産となった高知県東部地域の物語を特集しました。

日本遺産は、2015年度から文化庁が認定する国内遺産のこと。地域の歴史的な魅力や特色を通じて、日本文化や伝統を語るストーリーが対象となり、高知県では今春、新たに「森林鉄道から日本一のゆずロードへ-ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化」が、日本遺産に認定されました。

馬路村ふるさとセンター「まかいちょって家」に展示されている森林鉄道の写真

日本の林業を支えた、銘木「魚梁瀬杉」の産地

面積に占める森林の割合・森林率が全国1位の84%にも及ぶ高知県は、古来より林業が盛んでした。中でも、雨量の多い中芸地区は、銘木といわれる「魚梁瀬杉(やなせすぎ)」の産地。木材の運搬や集落の人々の交通機関として森林鉄道が活躍し、総延長は西日本最大の約300kmをにも及びました。

時代の変遷とともに森林鉄道はその役割を終えましたが、現在でも、当時を偲ばせる美しい風景とともに遺構が残されています。これらは、国指定重要文化財や経済産業省の近代化産業遺産群にも認定されています。

オオムカエ隧道(安田町)

五味隧道(馬路村)

小島橋(北川村)

立岡二号桟道(田野町)

林業から、日本一のゆずの産地へ

戦後の復興による都市部の電力不足を解消するため、全国各地で水力発電計画が持ち上がりました。魚梁瀬地区もダム建設により集落が水没し、森林鉄道の軌道も撤去。林業は縮小し、地域の人々は苦況に陥りました。その中で、新たな産業として取り組んだのが、山間部の寒さや病気に強い「ゆず」の栽培。北川村出身の幕末の志士、中岡慎太郎がかつて、貧困にあえぐ村民に栽培を奨励したとされるゆずの魅力を再発見し、現在では200haにも及ぶ一大産地として知られています。

森林鉄道からゆずロードへ。高知県東部の足跡をゆっくりたどる旅は、いかがでしょうか。